人はなぜ生きるのか!私の辿り着いた結論!その1:黎明期

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『人はなぜ生きるのか?』この壮大にして人生最大の難問について、私の考えの経過と、たどり着いた結論を書いていこうと思う。

このことを真剣に考えていたのは20代前半の頃であり、今から20年以上も昔のことなので、私の記憶も曖昧な部分もある。

昔のことを思い出しながら事実を書いていこうとは思っているが、多少の誇張や事実相違もあることをご理解いただいた上で読んで頂きたいと思う。

その1:黎明期

『人はなぜ生きるのか?』この人類の永遠の難問とも言えることを考えだしたのはいつだろうか?昔の記憶を辿っていくと、恐らく18歳(高校3年生)の頃だったと思う。

何がきっかけで考えだしたのかは覚えていないが、高校3年生の当時、所属していた野球部では万年補欠であったし、学業も飛び抜けてできた訳でもない、彼女がいたわけでもなく、なんとなく高校生活を送っていたことを記憶している。

高校3年生の冬、同級生たちの進路が次々と決まっていく中、自分の進路が決まらず、夜、寝付けない日々が続いていたとき、私は布団の中で尾崎豊を聴いていた。

彼の歌詞と歌声は18歳の私の心に刺さるものがあったし、『人はなぜ生きるのか?生きる意味はあるのか?』という問題に真剣に向き合うきっかけになった存在だった。

私の故郷は長野県松本市。歩いて5分のところに国宝松本城があり、北には『日本の屋根』北アルプスを見ることができる環境で18歳まで育ってきた。

長野県の自然は雄大であり四季折々の素晴らしさ感じることができるので、一年通して多くの観光客が訪れるが、生まれた時からその環境の中にいた私にとっては、決して『すばらしい』ものではなかった。

(44歳となった今はその素晴らしさがわかる)

実家から北の風景を見ても、南を見ても、西を見ても、東を見ても、山に囲まれているその環境は、18歳の自分にとって閉塞感を感じるものでしかなく、ただただ『抜け出したい』という想いだった。

とにかく自分の生活環境を変えたい、閉鎖された空間から抜け出したい一心だった私は、高校を卒業した後、東京で予備校通いすることを両親に相談することもなく一方的に決め、高校を卒業後、尾崎豊のCDを抱えながら、18歳の春1人上京した。

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